しまったと思った瞬間には、すでに足を滑らせた後だった。

 
 家へと続く道は明かりもなく月だけを頼りに足を引き摺って歩く。
 思うように動かぬ足に苛立ちながら溜息を吐いた。

 学園長から頼まれ、ある屋敷へと潜入した。
 なんの危険もない潜入調査。
 きり丸が目覚める前には帰れると思っていた。
 
 油断した…

 たぶん梟だろう…ガサッと音がして気が反れた瞬間、足を滑らせた。
 そう高くはない場所だったのが幸いだったが、変に受身を取ろうとしたのがいけなかった。
 足は変な方向に曲がり、激痛に襲われた。
 歩いている今もずくずくと静かに疼いている。


 音を立てず家の中に入ると、ごそりと黒い影が動いた。
「土井先生…?」
 きり丸の声がしたことに驚いた。
 アルバイトのために早く起きるきり丸とはいえ、まだ寝ている時間だ。
 暗い家の中に灯りがともされた。
「どうしたんだ、きり丸?」
「なんか早く目が覚めちゃって…先生こそ」
「あ、あぁ…ちょっとな」
 きり丸と話している間にも足が痛みを増している。
 汗が頬を伝う。
「…先生?」
 きり丸の訝しげな顔に笑みを返して息を吐く。
「どうかしたんスか?」
 隠しきるには痛みが大きすぎる。
 情けない所をきり丸には見せたくなかったのに…


 正直に怪我のことを話すと、きり丸に怒鳴られた。
 すぐに布団に寝かされた。
 足袋を脱いで足を見ると紫色に変色して腫れあがっていた。
 それを見たきり丸はさらに怒った。
 ぶちぶち文句を言いながらもきり丸は手拭いを濡らして腫れあがった足の上に置いてくれた。
 きり丸の気配を感じながら、重たくなった瞼を閉じた。 


 目を覚ますときり丸はいなくて、少し気が落ちた。
 アルバイトに行ったのだろう…。
 きり丸の顔を思い浮かべて溜息を吐いた。


 金の事となると才能を発揮するきり丸はどこへ行っても重宝されている。
 どこへ行っても聞かされるきり丸への賛辞を担任として家族として、誇りに思う。

 だけど、最近少々我侭になった私がいる。

 可愛気のない態度を叱りながら、客とあらば愛想を振りまくきり丸を不満に思う。
 多くの人と出会って色んな経験を積んでほしいと願いながら、私の知らぬ人間と親しげにしているきり丸に苛立ちを覚える。
 ふと見せる大人のような仕草に焦り、きり丸の子供の部分を捜す私がいる。
 
 いつか一人で生きていけるように、立派に巣立っていけるようにと願いながら…

 いつまでもこの手の中にいてほしいと願ってしまう



 飛び立つ翼を手折ってこのまま…



「先生、起きたんスか?」
 きり丸の声が聞こえて首を動かした。
「おまえ、その大荷物はなんだ?」
 戸を開けて立っているきり丸の手には大きな風呂敷が握られている。
 また大量の洗濯物でも引き受けてきたんだろうか…。
「内職です。先生にも手伝ってもらいますからね」
「なんで私が!」
「足動かさなくても手なら動かせるでしょ」
 まったくこいつは…
 確かに洗濯なら表へ出ないといけないけど、内職なら家の中でも出来るからな。
「先生のせいで今日のアルバイト全部おじゃんなんですから手伝うくらいいいじゃないスか」
 全部おじゃん?
「アルバイト行かないのか?」
「足腫れあがった人間置いてアルバイト行くほど人でなしじゃないスよ…」
 足腫れあがった人間に内職させようというのも十分人でなしだと思うんだが…。
 でも、そうか…
 今日はアルバイトに行かないのか…

 さっきまで沈んでいた気持ちが浮き上がったのを感じて、自分の愚かさを嘲った。



「先生ーすすんでますかー?」
 近所のおばちゃんたちから預かった洗濯物を終えたのか、きり丸が戸口から顔を覗かせた。
 壁にもたれかかって手を動かしている私の手元を見て満足そうに笑った。

 他にすることもなくなったきり丸も手際よく造花を作り出した。
 この分だとすぐに終わりそうだ。
「あ、そうだ先生。明日山田先生が薬を持って来てくれるって」
「山田先生が?」
「今日新聞配達に行ったら山田先生に会って、わけを話したら新野先生に頼んで薬を持って来てくれるって言ってました」
「新野先生に頼んでからなら、二・三日って所か…」
「それまでならもっと内職もらってこよーっと」
「ほどほどにな…」
 
 それまで、きり丸を閉じ込めることが出来るのか…


「先生、てきぱき手を動かしてくださいよー」
「はいはい…」



 本当は言いたい言葉がある。
 言ってしまったら、きっときり丸は怒るだろう言葉。
 
 
 必死にアルバイトをしないでも私に頼ってくれたらいいのに。

 傲慢な大人の我侭。
 
 もっと私に頼ってほしい。
 依存してほしい。
 
 
 きり丸がそんなこと望んでいないと知っている。
 どれだけ私が言っても決してその言葉を肯定することはないと知っている。

 だけど…

 いつか巣立っていくその日までは

 せめて…


 私の腕の中に閉じ込めてしまいたい



 傲慢な大人の我侭…



「なにぼーっとしてんスか?」
「あ、いや…」
「明日からはもっとやってもらいますからねー」
「わかったわかった」

 
 嫌われたくはないから、決して口にはしない。
 

 寛大な大人の顔をしている。

 どこへ行ってもこの腕の中に帰ってきてくれるなら…



 だけど、せめて…

 この怪我が治るまではせめて… 


「なーに笑ってるんですか?気持ち悪い…」
 きり丸が怪訝そうな顔で見てくる。
 けど、口元が緩むのを引き締められそうにない。
「いや、こんなに甲斐甲斐しく世話してくれるなら怪我するのも悪くないなと思って」
「………」
「わー!悪かった!私が馬鹿なこと言った!!」
 無言で腫れあがった足を殴ろうとするきり丸を、さすがに慌てて止めた。
「馬鹿なこと言ってないでちゃっちゃと仕事してくださいよ」
「はいはい」





 この怪我が治るまでは、この腕の中に閉じ込める。




 怪我が治ったらまた私のいない世界へ飛び出していくんだろうけど


 



「そうあからさまに落胆した顔をするな…」 
 怪我をした日から二日、山田先生が新野先生からの薬を持って訪ねてきた。
 きり丸が水を汲みに行くと、先生が私の顔を見て溜息を吐いた。
 もう少し遅くとも良いのにと思ったのが顔に出てしまったのかと、思わず顔を触る。
「怪我の具合は?」
「ごらんの通りです。面目ない…」
 日が経ち少しはひいたかと思うが、まだだいぶ腫れ上がっている。
 怪我を見て、先生が薬を塗る。
 ひんやりとしたそれが心地よいが、ひどい臭いに顔を顰めた。
「先生〜水汲んできましたよ〜うわっ臭っ!」
「良薬とはそういうものだ」
「なるほど。この臭さは我慢しますんで、早く良くなってアルバイト手伝ってくださいね」
 相変わらずの言い草に山田先生と二人で苦笑する。

「腫れがひくまで毎日これを塗るようにとのことだ。あと、副作用で熱が出るかもしれないとおっしゃていた」
 山田先生がおっしゃるのを聞いていると、きり丸がえっと声を上げた。
 不服そうな顔には「そうか!治るまでアルバイトに行けないのか…」と如実に書いてある。
 私の事は気にせずアルバイトに行ってきなさいと、大人ならそう言わなくてはいけないのだろうことはわかる。
 だが、声に出すことを躊躇った。
「内職をすればいいだろう」
「アルバイトに行く方が給料がいいんスよー」
「おまえはアルバイトアルバイトでまた宿題をしていないんだろう!いい機会だ。大人しく宿題していなさい」
「げー…」
 山田先生ときり丸の会話を聞きながら、片手で口元を覆う。
 駄目な大人だなぁ…
「まぁ、いいッスけどねー治ったらその分ちゃんと手伝ってもらいますからね!」
「あーはいはい。わかってますよー」
 山田先生に呆れた目で見られ、苦い笑いを返す。
 
 山田先生が帰られるのと一緒にきり丸も出て行った。
 帰ってくる時には山のような内職を持って帰ってくるんだろうと思うと正直ぞっとするが、その分一緒にいられるのだと思うと、悪い気持ちではない。
 
 

「先生〜帰りましたよ〜」
 思いに耽っていると、きり丸の声が聞こえた。
 その声が妙に不安定でどれほどの内職を持って帰ってきたのかと不安になった。
 次いで、ドサドサドサッと大きな音がする。
 目の前に積み上げられた山に顔を青くさせた。
 床が抜けないか非常に心配だ。
「おまえは物には限度というものがあるだろうが!限度というものがぁ!」
「いやぁ〜事情を話したらドバドバくれちゃって。くれるものはいただいとかないと!」
 悪びれず言うきり丸に思わず脱力した。
「宿題も忘れれるんじゃないぞ?」
「嫌なこと思い出させないでくださいよ〜」
「一分一秒たりとも忘れるな!!」
「あーはいはい。ほらぁそんなに力むと足によくないですよ」
「ほら、先生。スマイルスマイル!」
 そんな可愛い顔で笑っても誤魔化されないぞ!
 と、思いつつもすでに絆されている自分が情けない。


 いつか来るいつかに脅えるよりも、今ある今を大切にしたい。 

 手放したくないなら手放さなければいい。
 飛び立っても帰ってこられる場所になればいい。
 そのためにも、おまえのために、もっと強くなる。


 だが、今はここにある幸せを…


「先生、なにニヤニヤしてるんです?気持ち悪い…」

「治るまでおまえが甲斐甲斐しく面倒みてくれるのかと思うとなぁ」

「なっ!ばっかじゃないですか!早く治してくださいよ!長引くようなら面倒みませんからね!!」

 そう言っててもおまえはきっと面倒みてくれるんだろうなぁ…

「その不気味な笑い止めないなら…」

「うわーうわー!!止めてくれ!本当に痛いんだっ!」

「ふんっ!くだらないこと言ってないで手ぇ動かしてください!!」




 今はまだ、この幸せにしがみついたままで…




      終わり

















土井先生が駄目な大人だと興奮します。
弱い土井先生が書きたかっただけというお話でした。
山田先生はやれやれ…という感じで見守ってくれていると思います。漢前だから。

始めたはいいけど終われなくて、逃げ……
いつも無駄に長くてすみません。
文章力をください、神様